ロータリーの友 2017年7月号
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平成29年 7月号ロータリーの友イズリー氏がロータリーに初めて接した時、彼はロータリーの多くの新人にありがちな経験をしました。つまり、何をどうしたらいいか分からなかったのです。1977年、彼が会計事務所の所長だった時に、顧客の一人からチェルトナムRCでの卓話を依頼されました。「私の最初の質問は 『何の話をすればいいですか?』でした」と、ライズリー氏は振り返ります。次の質問は「ロータリークラブって何ですか?」でした。  彼は所得税について卓話をしました。「すてきな人たちで、笑いどころで必ず笑ってくれ、居眠りをせずに最後まで聞いてくれました」と、おどけます。その顧客が数週間後にまたやって来て、サンドリンガムに新しいクラブを創立するための打ち合わせに彼を誘いました。  「『ロータリーが何をするのかよく分からないけれど、ぜひ参加したい』と答えました」と、ライズリー氏。「実際には最初の会合には出られなかったのですが、また次回の会合にも誘われたので参加しました。そこにいたのは、成功前ページ:パターソン川の土手でロータリーのアイデアを話し合う、(左から)ジョン・ウィリアムズ氏、イアン・ライズリー氏、ケビン・ハリソン氏、リチャード・ガーナー氏、マリー・ビノクロフ氏、そして夫のニック・ビノクロフ氏左ページ:ベイサイドファーマーズマーケットに訪れた人々からの募金を募るライズリー氏(右)とボブ・リチャーズ氏。スポンサークラブは、ハンプトンRCとサンドリンガムRC。このマーケットの特徴は、地元の生産者が作る、肉や花、グルメ食品といった農作物です11 イアン H . S. ライズリー氏が真面目な口調でそう言うと、思わず信じてしまいそうになります。すると、友人のケビン・ハリソン氏がげらげらと笑い出し、そこでそれが冗談だと分かります。誰がコーヒー代を払うのかは謎のままですが、軽妙な冗談が、オーストラリア・メルボルン市郊外、パターソン川岸でのウオーキングの気分を盛り上げます。  親しいロータリアンの小さなグループが、2週間に1回、こんな調子で定期的にウオーキングをするようになってから、5年がたちます。「運動不足が解消でき、しかも世界の問題を解決する機会が得られる」一石二鳥の方法だと、ハリソン氏は言います。 リチャード・ガーナー氏、ジョン・ウィリアムズ氏、ニック・ビノクロフ氏とマリー夫人ら、その日に参加できる人がやってきて、友人たちと意見や考えを交わし合います。そして誰もが常に、ライズリー氏の考えを聞きたがります。「彼は人のアイデアに耳を傾けてくれます。そして、5~6回目のウオーキングが終わった頃には、プロジェクトの形になっているんです」と、ハリソン氏は言います。 12月の気持ちのいい朝、会話はさまざまな話題に広がっていきます。友人たちは、最近ニュージーランドで起きた地震などのニュースや、自分たちの所属するサンドリンガム・ロータリークラブ(RC)、ハンプトンRC、ノーブルパーク・キーズバラRC、そしてチェルシーRCの活動について語り合います。 彼らが話している間、ライズリー氏はじっと聞いています。彼は生涯にわたって、人々をまとめ、アイデアを練り、何をどうやったら改善するかといった、実用的な提案をして人々を導いてきました。このロータリーの新しい会長は、おおらかな魅力と、自分を笑い飛ばすウイットをもって仕事をするため、最初は彼がどんなに意欲的に取り組んでいるか、分からないかもしれません。「昔から、コーヒー代は私が払います」ラした人や有力者ばかりで、私は、なんだかすごいグループに参加してるぞ、と思いました」 彼は入会する前に妻のジュリエットさんに相談しました。ジュリエットさんは、夫の友人に彼と同じ会計士ばかりが多いことが気になっていたため、ロータリーを通して別の職業の人たちにも出会えるのではないかと考えました。こうして、彼は、1978年にサンドリンガムRCの創立会員となりました。 ライズリー氏は、ロータリーは、世界のためによいことをする場であるとともに、情報交換をし、職業人としての交流を広げる場でもある、という思いを強く抱いています。「ロータリーが私を惹ひきつけたのは、ロータリーの行ったプロジェクトや活動だと言いたいところですが、そうではありません」と、彼は指摘します。「私が惹かれたのは、明らかにその地域のビジネスエリートたちと関わりが持てることです」 ロータリーで活動するようになると、それが彼とジュリエットさんの生活の中心になりました。「15年ぐらいたって、私は修士号を取りたいと思うようになりました」と彼は言います。

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