ロータリーの友 2017年7月号
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THE ROTARY-NO-TOMO2017 VOL.65 NO.7 しかし「ロータラマ」であるにもかかわらず、ライズリー氏の奉仕活動は、ロータリーにとどまりません。シースカウト、スポーツ協会や学校評議会、地域諮問委員会などにも時間とエネルギーを注いでいます。2006年には、地域社会への多岐にわたる貢献を認められ、オーストラリア政府からオーストラリア勲章のメダルを授与されました。 「私がジュリエットに『どう思う?』と相談すると、彼女は『いいんじゃない? きっと新しい人に会えるから。私たちの友達は、ロータリアンばかりだからね』と言われました。ロータリーに入会した理由が、会計士の友人ばかりだったからなのに、逆になってしまったのです。ロータリーとはそんなところです。ロータリーに入ると、つい夢中になってしまいます。娘は、私たちの熱中ぶりを『Rロータラマotarama』(ロータリー漬けの生活)と呼んでいます。彼女いわく『ロータラマになると、その人のすべてをつぎ込んでしまう』と言いますが、これは本当です。たぶん私たちの多くにも、同じことが起きていると思います」 かし、ロータリーにかけるライズリー氏の熱意は、一つの課題に直面します。1980年代前半、女性会員の入会について疑問が生じた12「二人は互いによく支え合っていましたが、それでいて自立していました」右ページ:ライズリー氏と妻のジュリエットさんは、家の裏のデッキに座って庭を眺めるのが大好きです。夕方には花の香りでいっぱいになり、鳥のさえずりが聞こえます。一日の終わりに、くつろぎながら考えにふけるにはぴったりの場所ですし時です。1977年にアメリカ・カリフォルニア州のデュアルテRCが女性3人を入会させたところ、翌年に国際ロータリー(RI)からクラブの加盟認証を取り消されました。1980年にはRI理事会といくつかのクラブが、RIとクラブの定款および細則から、会員を「男性(male person)」と表現している箇所をすべて削除する提案をしましたが、否決されました。この事件によって、ロータリーの女性入会について世界各国から新たな関心が集まりました。  ライズリー氏にとって、これは良心がとがめる出来事でした。「1978年に入会した時、私は全員が男性であることに、思い至りませんでした。まったく気付かなかったのです」と、彼は振り返ります。しかし、女性の入会資格が争点になってみると、「こんな馬鹿げたことがあるか? と心の中で思いました。人口の半分を拒否する組織とは、いったい何なんだ? それで、退会しようとしたんです。『人を差別する団体にはいたくない』と言いました」 彼のクラブの会長は、もう一つの選択肢を提案しました。「会長は、『退会は勧められないな。内側から、ロータリーに女性の入会を求めるために活動した方がいい』と言いました。私は条件付きでそれに同意しました。条件とは、クラブ内で投票して、クラブがその方向に同意することです」。そこで投票にかけてみると、圧倒的多数の会員が、ロータリーへの女性の入会に賛成でした。 親友でサンドリンガムRC会員のボブ・リチャーズ氏は、この論争でライズリー氏が果たした役割を今も覚えています。「イアンは女性受け入れの、説得力のある主張者でした。彼は『視点や考え方を多様化することにはメリットがある』と言っていました」。1989年にロータリーが正式に定款を変更すると、サンドリンガムRCはすぐに数人の女性を会員として迎え入れました。 一人の女性は、サンドリンガムRCに入会しませんでした。それは、ジュリエットさんです。その代わりに彼女は1995年にハンプトンRCの創立会長になり、図書館と情報科学の仕事で磨き上げた組織運営能力と、並外れた記憶力を発揮しました。  彼女はまた、ロータリーの活動に直接参加してきた経験も生かしました。「会長になるまでに、イアンはすでにクラブ会長を経験しており、青少年交換プログラムに携わっていました」と、彼女は述べます。「二人でたくさんの地区大会に出席していました。そうしていると自分でも気付かないうちに知識が身についていました。その経験のおかげで、自分が会長になった時は少し楽でした」 ライズリー氏がロータリーで重要な役割を担うようになるにつれ、ジュリエットさんの役割も増えてきました。彼は1999-2000年度に第9810地区のガバナーを務め、ジュリエット

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