ロータリーの友 2017年7月号
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平成29年 7月号ロータリーの友8310THE ROTARY CLUB OFKUMAMOTO RINDOU道は険しいようだ。再建を祈念する。 「さあ、濡れないように手早くやりましょう」。降りそぼる雨の中、熊本りんどうRCの皆さんには本殿の数メートル前に張られたテントに集合していただく。傘を畳んでもらう。合図するや、そこからパッと出て、一糸乱れず撮影位置に並び、パッパッと撮り終えた。その間一~二分。なんとチームワークのよい皆さんだろう。 取材は地震から丸一年になろうとする四月初旬のこと。 阿蘇くまもと空港は益城町内にあり、そこから益城町の中心街までタクシーで一五分。阿蘇山の火山灰が堆積した台地は畑に切り開かれ、ビニールハウスが目立つ。スイカの一大産地という。人口三万四〇〇〇弱。西に隣接する熊本市のベッドメッセ社長で、最初の震度七(前震)の発生した四月一四日夜は韓国にいたが、「メールが一三〇本入ってきて」これは大変、急ぎ帰郷したところ、一六日未明に再度の震度七(本震)。自宅には赤紙(全壊扱い)が張られ、会社の事務所で寝起きした。オートメッセは九州自動車道の益城空港インターチェンジのすぐそばで熊本県最大級のカーポートを持つ。付近の熊本県産業展示場「グランメッセ熊本」には余震を恐れて車中泊する住民ら約一万人が避難した。オートメッセには自動車販売の仲間やロータリークラブなど、本震の夜から九州をはじめ各地から支援物資がぞくぞく届き、事務所を埋めていった。 「困っている人に早く配らなきゃと、ツイッター熊本りんどうロータリークラブ約五五〇〇戸が全半壊し、損傷を免れたのは一五〇戸余りしかなかったという。いまだ「復興の槌つち音響く」とは参らぬ現状が広がる。 そんな益城町で活動する熊本りんどうRCは会員二一人で、平均年齢四九・四四歳、四十代中心。ちなみに「りんどう」は熊本県の花である。会長の桂文裕さんは、ましきクリニック耳鼻咽喉科理事長である。五三歳。会員の中ではアニキ的な存在だ。 「わたしのクリニックも地震による液状化で敷地は泥沼。ただ建物はほぼ無事ビルの屋上から益城町中心地を眺めるタウンでもある。タクシーを降り、まず訪れた熊本第一信用金庫益城支店で迎えてくれたのは、支店長の福山貴士さん。熊本りんどうRCの幹事(肩書は取材当時、以下同じ)だ。 「うちのクラブは和気藹あいあい々、みなさん仲が良い。しかし、転勤族の私は住まいが熊本市内で支店も無事でしたが、今度の地震で益城町内の会員さんにも家が全壊され仮住まいしている方がおられます」。そういえば、支店の立つ町のど真ん中の交差点も支店以外の三つの角地が空き地だ。以前は商店が並んでいたそうだ。一歩路地に入れば、まだ解体を待つ建物が点々とある。町内の犠牲者二〇人。町の約一万戸の住宅のうちで、近所の人が家を解体したり引っ越したりする際に家財を預かったりしました」。クラブの例会場は、リゾートホテルの阿蘇くまもと空港ホテルエミナースだが、地震直後は被災者の避難所になり約二〇〇〇人を収容したため使えず、しばらくは他よそ所を転々とした。桂さんのクリニックの待合室を使ったり、仮設の益城町復興市場・屋台村で夜例会を開いたりした。「私たちは復興支援をしながらも、私たち自身が被災者でした。ここにいる誰もが被災者です」と言う言葉に実感がこもる。 撮影に「がんばろう熊本 がんばろう益城」と書かれたTシャツを着て来てくれたロータリアンがいる。住永栄一郎さんだ。二〇一一―一二年の会長。新車から中古まで幅広く販売するオート(右上)福山貴士さん (左上)桂文裕会長 (下)阿蘇くまもと空港は益城町にある

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